【書評】ゲームは戦争よりも偉大なのだ!「オシム ゲームという名の人生」感想。
マルコ・トマシュ
『オシム ゲームという名の人生』
を読んだよ!
どうして読もうと思ったのか?
まずはwikiのページをぺたり。→イビチャ・オシム - Wikipedia
超ざっくりというと何代か前のサッカー日本代表の監督さんです。
LINEのNEWSでオシムさんと阿部さんの対談が載っていて読んだんですが、
「そういやオシムさんの本って読んだ事ねえな」という事で挑んでみました。
ざっくりまとめ
「ゲームは戦争よりも偉大なのだ!」
もうちょっと詳しく
本そのものは、イビチャ・オシムさんの伝記です。
(本の中ではイビツァ表記なので、以下そのように書きます)
ですが、個人的にはオシムさんの人生よりも、
日本に対する作者のコメントや、人間の分析の方が気になりました。
何故、イビツァ・オシムは日本人に人気があったのか?
作者の分析はこうです。
日本人は(自分たちはそうしないのに)率直な物言いをする人物を好み、
年長者を敬い、とりわけ恩師の教えを大事にする。
何んと言っていいか、オシムと日本とは両思いの関係で結ばれたのだ。
いやもう日本人をばっさり切っていますねえ。
特に(自分たちはそうはしないのに)とかね。
そしてもう一つ。
日本では教師ほど尊敬されるものはないと聞いたことがある。
イビツァ・オシムは日本人にとってサッカーの「センセイ」なのだ。
教師の尊敬についてはともかく、対談の記事を読んでいたらこの意見は
全肯定したくなります。
イビツァ・オシムと著者の人間分析
人間が生きていくためには…
著者いわく、
人間が生きていくためには、自分の生活の糧が価値あるもので、
努力する甲斐があるものだと信じる必要がある。
だから自分自身の成功から縁遠い者たちは、スポーツや文化など何でもかまわないから他人の成功を「自分たちの」集団的成功として体験する。
これは鋭い。そして、
成功すれば文字通り救世主として祝福され、もし成功しなければ、よくて忘れ去られ、そうでなければ周囲のものに叩かれ、よってたかって引きずり下ろされる。その中間はない。そう、
僕らはげす野郎、人間のクズばっかりなのだ。
最近多いですねえ、引きずりおろされる人。
本当の原因とは
オシムさん曰く、
人間というものは、本当の原因ではないのに、自分の気の回る範囲
のことが原因だと思い込みたがる。しかし本当はそうではないのだ。
俺の問題の本当の原因はなんだろう?
公平なものの見方をやしなうためには
オシムさんが、自身の公平なものの見方がやしなわれた理由について
育ったのは無神論的な家庭で、自分自身そのおかげで公平なものの
見方がやしなわれたと認めている。
「何かの政党や宗派に所属するということは、その面での限界を自分で作る事になる」という。
なるほど。
まとめ
サッカーそのものに対する知識や興味がない、対談記事で興味を持ったくらいの
”にわか ”が読むには、内容が濃いですね。
「聞いたことがある名前だな」くらいの人は、名言集を読んだ方がいいでしょう。
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